A Void / W1200×D450×H600cm
Installation view @ Changwon Sculpture Biennale 2014
A Void
韓国での展覧会は戦後の社会と私達が日本人である事を特に強く感じさせられる場です、馬山は日本とも古くから船の往来も盛んで日本企業が低賃金の労働者を求め多くの工場が濫立し栄えた地でもあります。
2004年より約10年のあいだAntennaの作品の象徴的な存在として用いてきたキャラクター”Jappy”は現代社会の物質的繁栄によって失われた本質と肥大化してしまった表層を暗喩しています。今回の作品ではゴミで出来た大きな船に顔のないジャッピーが帆のように吊るされ、船内には空洞構造のゴミが大量に吊るされています、ゴミは社会のメタファーとして様々な事を静かに訴えかけるメディウムだと感じており本作では主要な素材として使用しました。また東日本大震災以後ゴミから想起されるイメージは私達にとって全く違った意味を持つようになったのではないでしょうか。
“われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。”この文章は三島事件によって三島由紀夫が割腹自殺をする前に演説の際にバラまかれた”檄文”より抜粋した文章ですが、事件より40年以上が経過し、物質的な豊かさを求め猛進し続けた日本の社会は経済的繁栄はピークを過ぎ、東日本大震災と福島第一原発事故によってこれまでの価値観が大きく崩れさった私達の現状を言い当てるかのような言葉です。しかしながら日本は未だ経済と物質的な繁栄を目指し憲法改正や自衛権の拡張等、ますます右傾化しつつあります。
今の日本を三島由起夫がもし生きていたらどのように感じたのだろうか?空白の果てには何があるのだろうか?右傾化の末は戦争へと向かうのだろうか?そのような未来は避けられるのか?韓国に滞在しながら作品を作り屋外での暑い日差しと過酷な作業によってぼんやりとした意識の中でいくつかのことが頭を巡っていました。